Piano

ピアノにとりつかれてしまった人がたくさんいます!
しかしピアノを上手に操る器用な人でも
音楽やピアノを本当に好きなのかどうかわからないと言う人もまた多いんです!
ピアノはどんなレベルの人にとっても魔物!!!


♪ピアノ曲あれこれ♪

シューマン:クライスレリアーナOp.16


ローベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann:1810〜1856 ドイツ)は、
ショパンと同年に生まれた、ロマン派を代表する作曲家。

「クライスレリアーナ」という曲名には、「クライスラーに関する事々」といった意味があるが、
そのクライスラーというのはシューマンが尊敬していたドイツロマン主義者で、 
作家・役人・音楽家・画家であった、E.T.A.ホフマンが音楽評論を書くときのペンネームだったといわれている。

当時シューマンは、後に彼の妻となる、女流ピアニスト兼作曲家クララ・ヴィークと交際中だったが、
この曲を作曲した1838年の、4月14日付の手紙(シューマンからクララへ)の中には、次のような言葉が見られる。
「ああ、クラーラ。なんと美しいメロディーが始終浮かんでくることだろう。
(僕は)この曲をクライスレリアーナと名付けるつもりだ。」
「この曲の中では、きみと、きみの思いつきの1つとが、主役を演じているので、
 きみにこの曲を捧げようと思っている。」
ふたりの愛の書簡は、「シューマン 愛の手(ハンス=ヨーゼフ・オルタイル編)に詳細に記録されている。

前述の書簡の中では、クララに捧げる(クララには、既に「ピアノソナタ第1番」が捧げられている。)と書いてあったこ
の「クライスレリアーナ」は、実際には、同年に生まれたショパンに捧げられることになった。これは当時のシューマン
の交友関係によるもので、ショパンは、この返礼として、「バラード第2番」をシューマンに捧げている。
同時期のシューマンの傑作「幻想曲」は、同じくロマン派の作曲家であるリストに捧げられている。
曲全体は、性格の異なる幻想的な8曲からなる大作であるが、シューマンは、この作品を、
短時日間に一気に書き上げたという。この以前から、クララとシューマンの結婚は、クララの父フリードリッヒ・ヴイーク
の猛反対にあっていたが、最後に2人は裁判に勝訴し、ライプツィヒ近郊の教会で結婚式を挙げたという。
それは、この「クライスレリアーナ」を作曲した2年後の、1840年のことである。
 

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最高のピアノで練習できる至福のときです!



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